TNRリポートby西濃地域猫の会 (岐阜県)

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放射能汚染を食品が中和する 被曝医師 秋月辰一郎 医師

150122アンゼラスの鐘
↑NAGASAKI1945 ~アンゼラスの鐘~ 予告編 - YouTube こちらをクリック

 長編アニメーション 医療活動と反核運動に残生涯をささげた、秋月辰一郎医師の物語
  虫プロダクション制作 お問い合わせは 有限会社 関西プロデュースセンター

150122死の同心円

NBC長崎放送 被爆者の証言 秋月辰一郎 こちらをクリック

 2011年3月11日に福島原発事故が発生してから、早や4年の歳月が来ようとしています
 発生当時は、ネットで様々な情報を読んだり、原発反対デモに参加したり、講演会を傍聴しにいったものでした。それがいつのまにやら関心事からうすらいでゆき、もう過去の終わった事柄のように思えてしまいます。

 しかし、放射能の恐怖はまだ始まったばかりで、今後100年以上も私たち日本民族を苦しめてゆきます。食物や水など口からはいるものはもちろん、ガレキをリサイクルするために、放射線を発するセメントがすでに作られており、これで作られたビルや住居や道路、小さなものでは、レンガやブロックや植木鉢、灰皿のようなインテリア小物など、今後、放射線はいたるところで私たちの身体に入り込んで遺伝子にキズを付けていくことでしょう。
 原発事故が起きてまもなく、放射能汚染から身を守るために、味噌と玄米と塩がよいとネット上での書き込みがありました。まさかと、当時の私は相手にもしませんでした。

 2012年3月から管理人は完全菜食者になったと、このブログにも書きました。毎日食べる食品の大切なものを書きますと、天然醸造の味噌と醤油・自然塩・7分づき米(時々玄米)・自家製の漬物・豆腐や納豆などの大豆製品・そして野菜です。1日の摂取カロリーを計算したことはありませんが、2000kcalに満たないはずです。栄養士が言う、肉や野菜や果物を30種類の食品をバランスよく食べている人たちと、互角かそれ以上元気に働くことができるのが不思議というより、痛快といったほうがピッタリします。
 この仕組みは、のちにこのブログでも詳しく書きたいと思いますが、簡単に書きますと、私たちの大人1人の身体の中には、総重量3㎏から1.5㎏もの腸内細菌が100兆匹も住み着いています。彼らが、アミノ酸をはじめ様々な栄養素を合成し生産してくれるからです。生産するだけでなく、人の身体にできたガン細胞や悪いものを食べてくれたりと、人の健康維持のために働いてくれ、善玉菌とよばれます。放射能汚染物質も食べてくれるかもしれません。これは肉食をすることで機能することが難しくなります。というのは、肉は身体に入ると猛烈に腐敗を起こし、悪玉菌が腸内をのっとってしまうからです。
 もう1つ大切なことは、マクロビオティックの食べ物の陰陽理論においても、極陰性である放射能を極陽性である天然醸造の味噌と自然塩で中和する可能性が考えられます。陰陽理論は難しく、これものちにこのブログでも書いていきたい事柄です。

 以上のようなことを知るにつけ、私は俄然、味噌と玄米と塩の力で、放射能汚染にも対処できるのではと思い始めました。


 早速図書館から借りた本は「死の同心円 秋月辰一郎 著」です。「死の同心円」は長崎に原爆が投下され、その爆心地から1400メートルしか離れていない病院で入院患者と医師看護婦を含む70名が、一人も原爆症にかかることなく生き残りました。虫プロプロダクションの長編アニメ「アンゼラスの鐘」はこの著書をもとに制作されました。
 著者の秋月辰一郎医師は桜沢如一(さくらざわゆきかず)氏のマクロビオティックを学び、病弱な身体を克服した菜食主義者で、89歳まで生きられた先生でした。原爆投下の1年前に秋月医師が院長として赴任して以来、入院患者には、玄米とワカメの味噌汁を提供していました。爆心地から1400メートルしか離れていない場所で被曝した、病院内の70名が、原爆症にもならず天寿をまっとうできたのは奇跡ではなく説明のつく事柄であったにちがいありません。
 ( なお、「死の同心円」は、長崎原爆の実態記録を後世に残すために書かれたもので、ある食品が放射能汚染を中和することに焦点をあてて書かれた著書ではありません。)
 
 爆心地付近の惨事はどのようなものであたか、長くなりますが本文を抜粋しました。とても書くことができない悲惨な事柄はこの場でははずしました。苦しみに会われた方々のご冥福をお祈りいたします。

「死の同心円」秋月辰一郎 著 長崎文献社 より転載
p134
 八月十三日ごろからあたらしい疾病に直面した。あとになって、原爆症とよばれるものである。その症状の患者は十六日をすぎると、にわかに数を増し、数日中に症状が悪化して、バタバタ死んでいく。患者の年齢や抵抗力の強弱によって、死までの時間に多少のズレがあるが、ハッキリいえることは、爆心地からの距離に比例して照射量に大小があり、それが激症、中等度症、弱症の区別をつけていることであった。つまり、本尾町、橋口町、浦上天主堂付近、上野町の人々は激症で、本原町一丁目付近(ここにこの物語の浦上病院がある。現在の聖フランシスコ病院。 注・管理人)がそれにつぎ、爆心地からの同心円の直径が伸びるにしたがって、減症になっていくことがわかった。減症の人たちは、一週間ほどの間に、じょじょに症状があらわれて死んだ。
 血球計算器もなく血球を染色して顕微鏡で見る装置もない。リンゲル注射も、輸血療法もできない。
. 私は想像と推理によってこれを「レントゲン・カーター」(レントゲン技師の身体が、だるくなる症状 注・管理人)に似たものと断定し、私がそれに苦しめられたとき、よく食塩水を飲んだことを思い出した。レントゲン・カーターの患者に、生理的食塩水よりすこしおおく塩分をふくんだ水を飲ませることは、レントゲン教室で働いている者の常識であった。私には原子生物学の知識はなかったが、「爆弾をうけた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ」と主張し、職員に命じて強引に実行させた。(塩は極陽性であり極陰性の放射能を中和するが、砂糖は極陰性であり、共に身体をむしばんでいく。注・管理人)

 それは、私が信奉しているミネラル栄養論とも一致する考えかたであった。私は石塚左玄氏の桜沢式食養学を学び、自分なりに工夫して食養医学をつくり、みずから秋月式栄養論と名づけた。
この考えかたにたてば、食塩のナトリウムイオンは造血細胞に腑活力をあたえるが、砂糖は造血細胞にたいする毒素である。おなじ野菜でも、カボチャはいいが、ナスはよくないということになる。(かぼちゃは陽性、ナスは陰性。注・管理人)
浦上第一病院の患者と職員に、こうして私のミネラル栄養論を実践したが、ついでに死の灰がいっぱい付着したカボチャもずいぶん食べさせてしまった。せっせと味噌汁にいれて食べたので、二次放射能で腸をやられたかもしれない。もっとも、味噌の解毒作用によって、プラスマイナス・ゼロになったと考えられる。

p146
 被爆後四十日間に恐怖心が強くなる
原子爆弾の恐怖は、被爆の瞬間だけではなかった。いやほんとうの恐ろしさは、八月上旬から九月のおわり、あるいは十月のはじめにかけての約四、五十日間に、ひしひしと体験させられたのである。
本原町よりしたのほうに住む人々や、私たちの病院にいる職員や患者にとって、この四十日間の一日一刻は、つねに死に直面したものだった。目に見えぬ魔物におびやかされた一日一日の生活であり、生命であった。
 原爆症、放射能障害と、いろいろ名前をつけることはできる。しかし、それはあくまで名前であって、本体はなにかわからない。それは最愛の子や妻を奮っていく魔物であった。原子爆弾の中心地から五百メートルから二千メートルの距離で被爆した人々が、この四十日間のあいだにほとんど死んでしまったのである。
 しかもその四十日は、混乱の真っ最中で、科学も救助も医療も報道も、きわめて不十分な活動しかできなかった。人々は焼けただれた芋畑や夏草のなかで、ある者は親兄弟に看とられながら、ある者は幼い子どもの泣き声を聞きながら、ある者はたったひとりで看護もうけられず死んでいったのである。
 原子爆弾が投下されて最初の一週間か十日のあいだにバタバク死んでいった人々は、全身火傷、急性激症の原子病だった。それは恐ろしいものではあったが、あまりにも急激な死で、医師として静かに考える余裕はなかった。あっという間に、無数の人々が虫けらのように焦げて、紫色になって死んでしまったのである。
 だがそれにつづく四十日間は医師としての私にまったくことなった苦しみと悲しみをあたえた。なぜならそれ以後の死は、原爆症であれ化膿症との合併症であれ、じょじょに人間の生命を破壊していったからである。医師としての私は、確実にせまりくる、しかしどうしても免れることのできない死と対決せざるをえなかった。

p148
 爆心地から五百メートル以内で被爆した人は、八月十五日までにすべて死んでしまっていた。
五百メートルから干五百メートルの距離で爆撃をうけた人々は、最後まで私に神の摂理を説いた修道女たちのように、八月十五日以降九月下旬までにつぎつぎに倒れていった。常清女学校にいた二十三名の修道女と修道女志願者は、こうして全員が死んでいったのである。この時間差は、爆発時の放射能の量が、物理的条件によって,多少の差があったためである。物のかげ,煉瓦のした、木造家屋のなか,コンクリートの建物のなかなど、物理的条件のちがいによって原爆症のあらわれかたも定かではなかった。またその人の体質や年齢による差もあった。おなじ条件下の家族でも、年少の人ほど抵抗力か弱く、急に死ぬようであった。しかし、一度最悪の病状を脱すると、年少の者のほうが回復は早かった。
 きのうまで、
 「おかげで私はなんともない」
といって感謝の祈りを捧げていた修道女が、きょうになってぽっくり死ぬようなことは日常茶飯のできごとであった。その人を看病し、臨終にお祈りをし、土葬を手伝った健康そうな修道女が、その翌日になって、急に皮膚に溢血斑を発見する。やがて口内出血がはじまり、悪心、嘔吐、血便をくりかえす。
 「ああ、私もあの死んだエリザベットといっしょです。先生--」
慄然として報告に来てから、彼女の死までは四、五日しかなかった。自分が土葬してやった人とおなじように死んでいく。この恐怖がほんとうの原爆症の恐ろしさであった。これが四十日間つづいたのである。
 妹の死をみとった翌日、今度は自分の髪の毛が抜けはじめたという患者の家にも往診をした。
「先生、死んだ妹とまったくおなじ症状です。私もきっと死ぬんですね」
まだ埋葬をしていない妹の屍体に覆いかぶきって、その姉は泣いた。事実、彼女にも悪心、嘔吐がはじまり、皮膚には原爆症による死を予告する紫色の斑点が出はじめていた。
 「元気を出して養生しなさい」
そういって力づけるよりほか道はなかった。医師として、これほど残念なことがあるだろうか。 
「死の同心円だ--。魔の同心円だ」

次回のブログに続きます。

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